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函館地方裁判所 昭和50年(ワ)306号 判決

原告 藤山照朗

被告 国

代理人 菅原崇、稲船重雄、森本栄繁、高野誠二、畠山和夫 ほか三名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金四九一九万〇一〇七円及びこれに対する昭和五〇年一一月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告の本案前の答弁

原告の昭和五九年一二月一七日申立てにかかる訴えの追加的変更を許さない。

三  請求の趣旨に対する答弁

1  主文第一、二項と同旨

2  仮に被告が敗訴し、仮執行宣言を付す場合には、担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の発生

(一) 原告は、昭和四六年二月八日生れの男子であるが、満二歳七か月にあたる昭和四八年九月一八日、北海道茅部郡森町(以下「森町」という。)公民館において、百日せき、ジフテリア、破傷風の三種混合ワクチン(以下「三種混合ワクチン」という。)の予防接種(以下「本件予防接種」という。)を受けた。

(二) 原告は、本件予防接種の二日後にあたる同月二〇日容態が急変し、両手足が麻痺し、更に翌二一日から排泄の感覚を喪失する状態になり、同日から函館市弥生町二番三三号所在市立函館病院(以下「市立函館病院」という。)に入院し、以後同年一一月九日まで加療を受け、更に同月一三日から昭和四九年四月二日まで北海道虻田郡虻田町字洞爺湖温泉町一四四番地の九〇所在社会福祉法人北海道社会事業協会洞爺病院(以下「洞爺病院」という。)において入院加療を受けた。右両病院の診断によればいずれも病名は「多発性神経炎」ということであり、現在、症状は顕著な臨床改善を示してはいるが、原告は、依然ギラン・バレー症候群後遺症により身体障害者福祉法施行規則七条三項、別表第五号の第二級の認定を受ける重度の身体障害を有し、機能回復訓練を受けなければならない状態にある。

2  因果関係

本件予防接種の二日後から原告の身体に生じた一連の症状及び後遺症(以下「本件傷病」という。)は、本件予防接種により発生したものである。

すなわち、原告には、本件予防接種当日アトピー性皮膚炎に罹患していたことから窺われるように、もともとアレルギー体質があるうえ、副反応の強い三種混合ワクチンが接種されていたところに、二日後ブランコから落下して右側優位性の上部脊髄損傷の外傷を受け、第一次的には、それを契機にアレルギー性の「多発性神経炎」が重畳して生じ、慢性期に外傷性、アレルギー性脊髄・末梢神経系損傷の後遺症となり、第二次的には、本来なら大脳に急性脳症を生じるところ、抵抗性の弱まつていた脊髄に急性脊髄症を生じ、本件傷病となつたものである。

なお、被告は、原告の本件傷病は、本件予防接種と全く関係なく、ブランコからの落下による外傷性脊髄損傷のみがその原因であると主張するが、原告としても、右脊髄損傷の影響を否定するものではないものの、医学の常識として原告にはその前駆期にアトピー性皮膚炎(アレルギー体質)及び本件予防接種が厳存した事実を無視できないうえ、原告が、当時まもなく三歳になるという年齢で身体が柔軟であつたし、ブランコからの落下距離が地面から三〇センチメートル近くの高さにすぎなかつたことからして外傷があつたとしても非常に軽度のもので、外傷だけでこれだけ重篤な後遺症の発生を説明できない。また、右側から左側にかけての両上下肢の麻痺が完成するのに約二〇時間を要したことなどの点は、外傷効果のみでは説明が困難である。更に、末梢優位性の四肢麻痺、特に両上肢の萎縮を被告の主張である脊髄前角の運動性神経細胞の広汎消失による二次変性のみで説明することは不可能に近い。

3  責任

(一) 本件予防接種の性質

本件予防接種は、昭和五一年改正前の予防接種法(以下「法」という。)一一条、一三条所定の定期接種ではないが、法五条、昭和五一年改正前の予防接種実施規則(以下「規則」という。)一四条ないし一八条は、ジフテリア及び百日せきの予防接種を市町村長に義務付けるとともに、法三条は接種対象該当者に接種義務を課し、更に、法九条は定期内に疾病その他やむを得ない事故のために予防接種を受けることができなかつた者についても、その事故の消滅後一か月以内に当該予防接種を受けなければならないと義務付けしていること及び本件予防接種の実施主体である森町は法五条に基づいて予防接種を実施したものであることに照らすと、原告が受けた本件予防接種が定期外であつたとしてもあくまで法三条の接種を受ける義務に基づいて予防接種を受けたものである。

仮に、本件予防接種が任意接種であるとしても、被告は定期接種を受けなかつた国民に対し強く接種を受けるように勧奨して接種を受けさせているものであり、かかる勧奨を受けた国民のほとんどの者が心理的強制を受けて、勧奨に応じて接種を受けているものである(実際に法三条が国民に接種を義務付けていることは前述のとおりであるから、義務感をもつのは至極当然である。)から、任意接種といつても強制接種と接種の手続、実態に何ら変わりはなく、副反応から発生した事故に関し、被告の責任を免除することにはならない。

(二) 安全確認義務違反による不法行為責任

(1) 予防接種に用いるワクチンは、いかに弱毒化されてきたとはいえ、病原菌とその毒素を有効成分とし、しかもその製造過程において爽雑物や雑菌などが混入しやすいため、決して人体にとつて安全なものではなく、異質かつ危険なものであり、免疫の獲得という本来の目的をこえ重い副反応を伴う可能性を常に有している。そして、その副反応の被害は大きく、例えば、種痘接種の副反応として一般に知られている種痘後脳炎、脳症は、発症するとその三〇パーセントから四〇パーセントが死亡し、一命を取り止めた場合でも脳細胞が破壊される結果知能に障害をきたし、話すことや書くことはもちろん感情を表現することもできなくなる事例が少なくなく、また知能障害のみならず、上下肢、体幹に麻痺を残し寝たきりで独力で寝返りすらできない事例もあり、その心身の障害は一生治癒することがない。また、三種混合ワクチン接種の副反応としては、百日せきの場合は発熱、下痢、嘔吐、シヨツク症状、けいれん、意識障害を伴う重篤な脳症状等をもたらし、ジフテリアトキソイドの場合は発熱、頭痛を伴う全身反応、嘔吐等をもたらすことが知られている。

予防接種に以上のような副反応が伴うことは被告も熟知しており、特に昭和二二年以降は予防接種事故による死亡者数を毎年国連世界保健機構(WHO)に報告しており、その数は昭和三九年までに三九八名にも及んでいる。しかもその背後にはその一〇倍から二〇倍の後遺症に苦しむ被害者が存在すると推定される。

(2) 従つて、予防接種法を制定し、予防接種行政を排他的に管理運営し、国民に対して刑罰によりあるいは心理的に前記のような予防接種を強制してきた被告としては、憲法一三条、二五条に基づく責務として、予防接種を実施するにあたつてその安全性を確保するため、予防接種の必要性、接種年齢の再検討、より安全性の高いワクチンの早期開発、ワクチンの製造、保管、運搬等に対する監督、ワクチンの検定に関する諸制度の整備、禁忌事項の検討とその該当者発見のための予診、問診の徹底及びそのための接種現場の物的、人的環境の整備、接種被害状況の把握等について十分調査研究し、安全対策を樹立してワクチンの安全性を十分確認したうえ予防接種を実施すべき義務があつた。

(3) しかるに、被告は、こうした措置を全くといつてよい程講ずることなく、漫然と本件予防接種を実施したものであり、被告には右安全確認義務を怠つた過失がある。

(4) 従つて、被告は、原告に対し、民法七〇九条に基づき原告が本件事故により被つた後記損害を賠償すべき責任がある。

(三) 実施主体の過失による国家賠償法一条の責任

(1) 公務員による公権力の行使

本件予防接種は、前記のとおり、予防接種法に基づくものであつて、被告から事務委任を受けた森町町長が医師高橋利夫(以下「高橋医師」という。)に委託して実施したものであるから、被告である国の公権力の行使にあたる公務員が職務上行つたものである。

(2) 過失

本件予防接種当日、原告の顔面及び後頭部に発疹があり、特に右耳後ろには二センチメートルないし二・五センチメートル四方大の著明な湿疹があり、右湿疹は三種混合ワクチンの予防接種の禁忌症状に該当するアトピー性皮膚炎であつたうえ、原告の母藤山ツネ(以下「ツネ」という。)が高橋医師に対して、右湿疹を指摘して本件予防接種を受けさせることの安否を質問したのであるから、このような場合、同医師としては、本件予防接種前に原告もしくはツネに対して問診及び触診など十分な予診をし、本件予防接種の実施を中止すべき注意義務があるにも拘らず、これを怠り、漫然本件予防接種を実施したものである。

(3) 従つて、被告は、原告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、原告が本件事故により被つた後記損害を賠償すべき責任がある。

(三) 損失補償責任

(1) 法三条は、前記のとおり、何人に対しても同法に定める予防接種を受け又は受けさせる義務を課し、これに違反した場合には法二六条を以つて刑事罰を科することとしていたものであり、法三条所定の接種、法六条所定の接種及び法九条所定の接種は、いずれも右義務の履行として接種が行われているものである。法が、同法に定める予防接種を国民に強制しているのは、伝染のおそれがある疾病の発生及びまん延を予防し、公衆衛生の向上と増進に寄与することを目的としたものであつて、集団防衛、社会防衛のためである。

(2) また、被害が法による強制ではなく行政指導により地方公共団体に対し勧奨接種を実施させているばあいもあるが、それも特定の疾病の感受性対策として特定の年齢群、集団等に対し予防接種を受けさせることにより、伝染のおそれがある疾病の発生及びまん延を予防するためであつて、やはり集団防衛、社会防衛を目的としたものである。

そして、被告から行政指導を受けた地方公共団体は、毎年例外なくこれに従つて国民に対し強く接種を勧奨してこれを実施していたものであり、かかる勧奨を受けた国民のほとんどすべての者が心理的強制を受けて、勧奨に応じて接種を受けていたものであつて、国民にとつては法による強制接種も勧奨接種も、接種の実施手続、実態に何ら変わりのないものである。

(3) 原告は、前記のとおり、被告による法律上の強制により(厳密にいえば、百日せき、ジフテリアのみが法三条の強制接種の対象で、破傷風は形式上任意だが、三種混合されているため実質的には強制と同じである。)本件予防接種を受けたものであるが、その結果惹起された本件事故は、原告にとつて受忍することのできない特別犠牲であり、被告は、憲法二九条三項によりこれに対する正当な損失補償すべき義務を負うものである。

すなわち、憲法二九条三項は、直接には財産権の収用ないし制限に関する規定であるが、憲法一三条後段は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定め、憲法二五条一項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定めており、これらの規定に照らせば、憲法二九条三項の解釈適用にあたり、社会公共のための財産権の侵害については補償するが、同じく社会公共のためになされた生命、健康の障害については補償しないとすることは到底許されない背理である。

憲法二九条三項が、生命、健康侵害の補償について直接触れていないのは、そもそも「収用」という概念が歴史的には財産権、それも古くは所有権について発生したからであるが、近時は、収用の対象となる「権利」も財産権から営業利益などの無形の財産的価値をも含めるようになつたし、「用いる」という「収用」概念も次第に拡大的に解され、収用類似の侵害行為まで含めるに至つているものである。

そもそも、特別犠牲に対する損失補償は、特定人に対し、公益上の必要に基づき、特別異常なる犠牲を加え、しかもそれがその者の責に帰すべき事由に基づかぬものである場合には、正義、公平の見地から、全体の負担において、その私人の損失を調整する制度である。ところで、予防接種は伝染病から社会を集団的に防衛するためになされるものであるが、不可避的に被接種者に死又は重篤な身体障害を生ぜしめる副反応を起こさせることがあり、被告は、その事実を承知しながら、右犠牲の発生よりも伝染病に対する社会集団防衛の利益を優先させるという政策判断を行い、法による強制あるいは行政指導による事実上の強制により国民に対する予防接種を実施し、その結果として、予測されたとおり少数の国民に死あるいは重篤な身体障害がもたらされたものである。伝染病のまん延防止という社会公共の利益のために犠牲となつた少数者に対し、その犠牲によつて利益を受けた大多数の者が負担を分担することは共同社会の基本理念である公平の原則に合致するものであり、その分担すべき犠牲は財産的犠牲に限定されるとすべき合理的根拠は全く存しない。むしろ、人生最大の悲劇である生命と健康の犠牲に対してこそ懇篤に補償すべきである。右理念の法的表現がまさに国家補償の理念と法制度であり、本件のような被害に対する補償を除外して国家補償の制度は考えられないものである。

更に、生命、身体に対する被害は、同時に甚しい財産的損失を伴うから、生命、身体と財産権が次元を異にするとして前者に対する補償義務を否定することは許されないものである。

(4) 従つて、被告は、原告に対し、憲法二九条三項に基づき、原告が本件事故により被つた後記損失について正当な補償をすべき責任がある。

4  損害又は損失

(一) 逸失利益 金二八七一万二六〇七円

原告は、本件事故がなければ、満一八歳から満六七歳までの四九年間就労し、毎年金一六二万四二〇〇円(三六歳男子労働者平均賃金)の収入を得たはずである。

しかるに、原告は、本件事故による前記後遺障害により労働能力を一〇〇パーセント喪失したので、ホフマン式計算法により逸失利益を算出すると、金一六二万四二〇〇円×一七・六七八(新ホフマン係数)=金二八七一万二六〇七円となる。

(二) 入院中の付添費及び諸雑費 金四七万七五〇〇円

(1) 入院付添費 一日金二〇〇〇円×一九一日(入院期間)=金三八万二〇〇〇円

(2) 入院諸雑費 一日金五〇〇円×一九一日(入院期間)=金九万五五〇〇円

(三) 慰謝料 金一五〇〇万円

原告は、本件事故にあうまで健やかに育つていたのであるが、本件事故により人間としてかけがえのない健康とその喜びを一挙に奪い去られてしまつたのであつて、その後遺障害が第二級の認定を受ける程の重度であることを考慮すれば、原告の精神的肉体的苦痛に対する慰謝料は、金一五〇〇万円を下らないものである。

(四) 弁護士費用 金五〇〇万円

原告は、本件事故により以上の損害を被つたのであるが、被告が任意にこれを支払わないため、やむなく原告訴訟代理人らに対し、本件訴えの提起及び遂行を委任したものであつて、その弁護士費用として金五〇〇万円が相当である。

5  結論

よつて原告は、被告に対して、不法行為あるいは国家賠償法一条による損害賠償請求権ないし憲法二九条三項による損失補償請求権に基づき、金四九一九万〇一〇七円及びこれに対する本件事故発生の日の後である昭和五〇年一一月二三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の本案前の主張

原告の当初の請求は民法七〇九条に基づく損害賠償請求であつたところ、原告は、昭和五九年一二月一七日の第二八回口頭弁論期日において、請求原因3(四)の主張(損失補償請求)を追加的になしたものであるが、右主張は本件予防接種による被害が憲法二九条三項の適用をめぐつて講学上いわれている特別犠牲にあたるとして、直接右条項を根拠に損失補償請求をするものであり、審判の対象たる訴訟物が当初の請求と異なるから、訴えの追加的変更と解すべきところ、右訴えの追加的変更により追加された損失補償請求訴訟は、その内容において行政事件訴訟法四条後段に該当する実質的当事者訴訟である。

そうすると、右損失補償請求訴訟は行政事件訴訟であり、これに対し当初の損害賠償請求訴訟は民事訴訟であるから、両者は訴訟手続を異にし、従つて、民事訴訟法二二七条所定の訴えの客観的併合の要件を欠くものというべく、民事訴訟法の手続によるかぎり、右訴えの追加的変更は不適法である。

仮に、従前の損害賠償請求訴訟が右損失補償請求訴訟の関連請求(行政事件訴訟法四一条二項、一九条二項、一項前段、一三条)であるとしても、規定の文言上行政事件訴訟以外の請求に当事者訴訟を追加的に変更することは認められないから、同法一九条一項の併合要件を欠くものというべく、右訴えの追加的変更は不適法である。

三  被告の本案前の主張に対する原告の反論

本件損失補償請求は、実質的に損害賠償請求であり、ただその実体法上の根拠を憲法二九条三項に基づくものとするものであつて、訴訟形態としては民事訴訟の類型に入るものである。

仮に、本件損失補償請求が被害の主張するように行政訴訟の一類型であるとしても、行政事件訴訟法四一条二項、一六条、一九条の規定の趣旨は、訴訟手続が別異な請求であつても、その請求が相互に関連性がある場合、審理の手続、裁判の矛盾抵触を避けるため併合を認めるというものであつて、行政訴訟に通常の民事訴訟を併合する場合に限定すべきいわれはない。従つて、同法一六条の類推適用により通常の民事訴訟にその請求に関連する行政事件訴訟である損失補償請求を併合することは許されると解すべきである。特に、本件訴訟においては、責任の法構造こそ異なるけれども損害賠償請求と損失補償請求は審理の対象となるべき事実関係が同一でありなんら併合要件を欠くものではない。

四  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1項(一)の事実は認める。

(二)  同項(二)の事実中、原告が、昭和四八年九月二一日から同年一一月九日まで市立函館病院で入院、加療を受けたこと、同月一三日から昭和四九年四月二日まで洞爺病院で入院、加療を受けたこと及び右両病院での診断名が「多発性神経炎」であつたことは認め、その余の事実は知らない。

2  同2項の事実は否認する。

本件傷病は本件予防接種によるものではなく、以下に述べるとおり本件予防接種二日後に発生したブランコから落下した時の外傷によつて生じた脊髄(頸髄下部、胸髄最上部)損傷によるものである。

(一) 原告の病状ないし診療の経過は次のようなものであつた。

(1) 原告は、昭和四八年九月一八日の午後本件予防接種を受け、同日午後三時頃帰宅したが、その日は特に変わつた様子はなく、翌朝目がとろんとした感じであつたが、体温は平熱で異常なく表に出て遊んでいた。原告は、翌二〇日も同様の感じであつたが、体温は平常(三六度四分位)であつたところ、午後四時頃姉達と学校の校庭に遊びに行つたが、行つて一〇分ないし二〇分位も経たないうち、ブランコから落ちたといつて泣きながら右足を引つ張るようにして姉達に連れられて帰宅し、その際手拭も持てないような状態であつた。

(2) ツネは、同日、午後九時四五分頃、原告が異常な泣き方をしたため、午後一一時頃茅部郡森町本町二二番地所在小池診療所で原告の診察を受けた。同診療所の医師小池良信は、ツネの訴えが「ブランコから落ちて具合が悪い。」ということであつたので、脳震とうを起こした疑いがあるとして診察にあたつたが、特に異常は認めなかつた。翌二一日早朝にも同医師は再来した原告を診察したが、この時も異常は認めなかつた。

(3) 同日、ツネは原告を伴い右同様の訴えにより同郡同町上台町三二六番地所在森町国民健康保険病院を訪れたが、同病院で原告の診察にあたつた医師近江淳一も、原告の体温及び尿のいずれも正常と判断し、特に異常は認めなかつた。

(4) 更に同日の午前、原告は函館市豊川町一番地の二二所在松岡小児科医院において医師松岡悟の診察を受けたが、同医師はツネから「前日より機嫌が悪い。」「ブランコから落ちた。」との訴えがなされたので原告を診察したところ、原告は座れるような状態ではなく、寝かせたままの状態で頭の下に手を入れて首を曲げようとしたところ、脳や脊髄に影響がある場合にみられる首が固くて抵抗のある状態、すなわち髄膜刺激症状がみられたため、頭部の異常を疑つて市立函館病院の脳外科に転院の手続をとつた。

(5) 右脳外科の医師平井宏樹の初診時の所見は「心、肺、腹部には、聴打診上異常なし。四肢動かさず、痛覚刺激で左上下肢を少し動かす。両側下肢の腱反射(膝蓋腱、アキレス腱)消失。両側上肢(二頭筋、三頭筋)の腱反射低下。バビンスキー等の病的反射陰性。全身性の痛覚等の知覚脱失。咽頭反射陽性。瞳孔の対光反応は、左側迅速、右側やや遅い。瞳孔の左右不同症(右<左)。両眼瞼下垂。軽度の頸部硬直。不機嫌。頭蓋、頸椎のレントゲン写真異常なし。腰椎穿刺は、初圧二一〇mmH2Oで三ミリリツトル採取し、終圧一一〇mmH2O、また泣き叫んでも二一〇mmH2O程度。」ということであり、髄液検査の結果も異常はなかつたため脳外科的な損傷はないということで、特に病名はつけず、同月二三日原告を同病院小児科に転科させた(これについては、外傷性の損傷であることに変わりはないが、外科手術の対象となる性格のものではなく、むしろ内科的治療にゆだねた方がよいと判断したものと考えることができる。)。

(6) 原告の移送を受けた右小児科の医師池田茂は、原告の右(5)記載の症状から「多発性神経炎」(その他、「ギランバレー症候群」あるいは「ランドリー型麻痺」の診断名を付すこともあつたが、最終的には「多発性神経炎」の診断名とすべきとの考え方に固まつている。)と診断し、同年一一月九日まで診療にあたつた。その間道立衛生研究所に右疾病の原因につきウイルス的検索を依頼したが、その関係は見出せず、結局右症状についての原因は究明できなかつた。

(7) 原告は、前記平井医師の紹介で機能回復訓練のため同月一三日から昭和四九年四月二日までの間洞爺病院に入院したが、その初診時における診断名は前記池田医師と同様「多発性神経炎」とされている(これについては、次の事情からしても右池田医師から送付されたカルテの記載を尊重してそのまま右診断名を踏襲したとも考えられる。)。しかし、洞爺病院において原告の診療を担当した医師三島博信は、原告の病名を「四肢不全麻痺」とし、その症状は、「上肢はどちらかといえば、弛緩性麻痺型で粗大運動には特に制限はなかつたが、尺骨神経麻痺による鷲爪型の変型と拇指球の筋萎縮を認め、巧緻性に欠け、握力も低下していた。左右の比較では右上肢の方が重症だつた。」「下肢については痙性が強く、尖足位をとり、歩行は不安定で痙性歩行と右下肢の内転位保持が目立つた。」とし、右症状からして「上肢に弛緩型、下肢に痙性型という機能障害を残すようなギラン・バレー症候群は経験したことがない。」としてこれを否定し、また頸髄部の脊髄炎の可能性もあるとしながらも、「特に脳圧とリコールの細胞数などから考えて、細菌性のものではなく、またビールス性のものとは思えないし、その確率は低いといわざるを得ない。」とし、結論的には本件予防接種と原告の本件傷病との因果関係を明確に否定し、結局、原告の運動機能障害は、ブランコから落下したことによる「外傷性の頸髄損傷(部位は頸髄の第七番、第八番)」によるものと考えるのが最も妥当であるとしている。

(8) 原告は洞爺病院入院期間と重複して、昭和四八年一二月八日から昭和五一年一月三一日までの間に数次にわたり、札幌肢体不自由児総合療養センターの診療を受けているが、ここにおいても初診時において「ギラン・バレー症候群」との診断は否定されていること、また昭和五〇年一二月八日のカルテによれば、レントゲン「写真が悪くてわからないが、やはり脊椎の骨折らしい。」と記載されていることが注目される。

(三) 以上の原告の病状及び診療の経過によれば、小池診療所から市立函館病院脳外科、小児科に至るまでのいずれの医師においても、その主訴から原告がブランコから落下したことによる中枢神経系の損傷を疑つたが、いまだ原告に右損傷による症状が発現せず、又は発現していたとしても認識し得ないほど軽度であつたこと、あるいは発現していてもいまだ固定していなかつたため十分な判断が望めなかつたことから、その原因については特に断定的な判断はなされなかつたが、原告の症状が固定した時期にその診察にあたつた洞爺病院の担当医である医師三島博信はブランコから落下したことによる「外傷性の頸髄損傷(頸髄の第七番、第八番)によるもの」と明確な判断をしており、札幌肢体不自由児総合療養センターにおけるレントゲン所見も不明瞭ながら右判断を裏付けているものといえる。

(四) そして、原告の急性期の症状からみれば、「多発性神経炎」あるいは「ギラン・バレー症候群」の可能性が完全には否定し切れず、それ故この時期に原告の診察にあたつた医師池田茂もこれらの診断名を付したとも考えられるが、市立函館病院での三回にわたる髄液検査の所見は、タンパク、細胞解離というより、むしろ、細胞数がやや高く、タンパク総量は逆に低下していつた事実があり、運動、知覚の双方がほぼ同比重におかされ、また、かなり重症の後遺症を残した点、ホルネル症候群が一過性であれ認められた点などは、ギラン・バレー症候群の典型例とは到底考えにくい。また、同症候群の場合は、原則として脊髄自体よりもそれに出入りする神経根や末梢神経に問題があるものであり、同症候群と多発性神経炎とは別個の傷病であるとする考え方もあるが、いずれにしても末梢神経障害であるのに対し、原告のその後の症状経過をみれば、原告の場合には前記(二)(7)のとおり洞爺病院における診断の際明らかにされたように下肢に中枢神経の障害によつて現れる痙性麻痺がみられるのであつて、原告の症状を目して「ギラン・バレー症候群」あるいは「多発性神経炎」の存在を疑うことが妥当でないことは明らかである。

(五) 従つて、原告の本件傷病については、ブランコから落下したことに伴つて第八頸髄、第一胸髄(右側にやや強い)において(あるいは中心として)、脊髄前角、錐体路、脊髄視床路及び脊髄毛様体中枢が損傷を受けたことによる脊髄の横断性不完全切断の病変をきたしたものとしてすべて統一的に説明できるものである(なお、レントゲン写真による所見で損傷が発見できない場合でも右のごとき損傷は生じ得る。)。そして、たとえその症状の一部を採れば(本件については上肢の弛緩性麻痺)他の疾病(本件については「多発性神経炎」ないし「ギラン・バレー症候群」)が疑える場合であつても、すべての症状について同一の原因で説明できるのであればこれによるべきであるのが常識的であると考えられる。以上の次第で、原告の本件傷病と本件予防接種との因果関係は明確に否定される。

3(一)  同3項(一)の事実中、原告が被告の強制により本件予防接種を受けたことは否認する。

本件予防接種当時三種混合ワクチンの第一期は生後三か月から六か月に至る期間において三回、第二期は第一期接種後一二か月から一八か月に至る期間において一回受けることとされていた(法一一条、一三条、規則一五条三項、一六条三項)ところ、原告は昭和四六年九月一三日三種混合ワクチン第一期第一回目を長佐古診療所で受けたものの、第二回目以降の接種を受けなかつた。そこで、原告は改めて昭和四八年九月一八日定期外第一期第一回目として本件予防接種を受けたものであり、被告の実施する定期強制接種手続に従つて受けたものではない。また、本件予防接種が法六条の接種でなかつたことはいうまでもないし、法九条にあたる事由は何ら原告の主張していないところである。

従つて、本件予防接種は、予防接種法上の強制接種として行われたものではなく、予防接種法に基づかない任意接種として行われたものといわざるを得ないから、この点で被告は原告の主張する各請求の責任主体となり得ず原告の各請求はいずれも失当である。

(二)(1)  同項(二)(1)の事実中、予防接種に用いるワクチンは、弱毒化された病原菌(病原体)又は毒素に由来する免疫源を有効成分としていること、その製造過程において爽雑物や雑菌などが混入する可能性がぜんぜんないとはいえないこと、ワクチンは人体にとつて百パーセント安全とはいえないこと、ワクチンの接種により極めてまれに重篤な副反応が生ずること、種痘後脳炎、脳症のような重篤な副反応が生じた場合には、原告主張のような状況に至ることもあること、三種混合ワクチンの接種によつて極めてまれに起こる異常な副反応として原告主張のような症状がありうること、予防接種は、現在の科学水準では説明することのできない副反応を伴う場合があり、厚生省の担当官がこれを認識していたこと及び被告がWHOに報告しており、その数が昭和二二年から昭和三九年まで三九八名であることは認めるが、その余の事実は知らない。なお、種痘後脳炎、脳症発症後一命をとりとめた場合において、治癒する場合が少なからずある。

(2) 同項(二)(2)の事実中、被告が国民に対して予防接種を心理的に強制してきた点は否認する。憲法一三条、二五条に基づく責務であるかは別にして、国が予防接種を実施するにあたつて原告主張のような点について安全性の確保に努めなければならないことは一般論として認める。

(3) 同項(二)(3)の事実は否認する。

(三)(1)  同項(三)(1)の事実中、本件予防接種が高橋医師によつて行われたものであることは認め、その余の事実は否認する。

(2) 同項(三)(2)の事実は否認する。

原告の母ツネは、昭和四八年九月一八日に三種混合ワクチンの予防接種が行われることを森町広報等で知り、同日その接種を受けるべく原告を連れ接種会場である森町公民館に来て受付手続をなし、受付係から問診票を手交された。右接種当日は、高橋医師のほか保健婦二名、衛生係員二名の合計五名が配置され、衛生係員二名が受付手続を、保健婦宮形ミヨ(以下「宮形保健婦」という。)が問診票の第一次確認を、同斉藤千代子が高橋医師の介助を、高橋医師が本件接種をそれぞれ担当し、定期分及び定期外を含め約一四〇名の被接種希望者について手順よく何らのトラブルもなく実施された。宮形保健婦は、原告の母子手帳及び昭和四六年度の予防接種名簿に基づき原告の第一回接種日等を点検のうえ、同名簿に原告を定期外第一期第一回被接種者として記入し、次いで、ツネが回答記載した予診のための問診票について同人と問答形式により第一次確認を行つた。右回答記入された問診票によれば、原告の当日の体温は検温の結果平熱(三六度三分)であり、「今しつしんなどの皮ふの病気がありますか。」の事項について「ない。」と記載され、かつ宮形保健婦の問いに対しても原告が皮膚病に罹患している旨の申出はなかつたし、またその様子も見受けられなかつた(ただ、「お医者さんに今かかつていないが最近かかつたことがある。」の事項について、ツネは、最近原告は医者にかかつたことはない旨述べているが、本件予防接種日の一週間前(昭和四八年九月一一日)に風邪に罹患し小池医師の診察を受けた事実があつたが、軽症であつたため注射もせずその後通院もしていなかつた。)。その他異状若しくは不健康と認むべき点はなかつたので、宮形保健婦は第一次確認者として問題のないケースと判断し、ツネに確認済の問診票を手渡し高橋医師の予診を受けるよう指示した。ところで、本件予防接種を担当した高橋医師は約二〇年間にわたり延約六万人に予防接種をした経験をもつ、この道に精通している者であるうえ、それまでツネを初めその家族及び原告をたびたび診療していて原告の普段の健康状態、発育状態を把握していたものであり、このような高橋医師において、問診票を点検し、更に原告の顔色とかを視診したうえで、原告について何らの異状もなく、また異状を推測すべき事情も全くないと判断して本件予防接種を実施したものである。

以上のとおり、本件予防接種当時、原告の顔面及び後頭部に発疹あるいは原告主張のような湿疹は存在していなかつたものであり、しかも第一次問診において回答された問診票の内容においても、また宮形保健婦による再度の口頭による確認の際にも、かつ、高橋医師自らも必要と思われる禁忌事項につき予診を十分に行つているにも拘わらず、皮膚炎等の存在は確認し得なかつたものであるから、高橋医師には何らの過失も存在しなかつたというべきである。なお、原告は本件予防接種の二か月前(昭和四八年七月二八日)に稲城皮膚医院で「アトピー性皮膚炎」と診断されているが、たとえ原告においてアトピー性皮膚炎と思われる腫瘍があつたとしても、本件予防接種時まで約二か月を経過しており、かつその間他の病院で治療した事実もないから、原告の右腫瘍は本件予防接種時までに治癒していたものといわざるを得ず、前記のとおり、原告の過去の病歴について保護者から告知がなかつた以上、高橋医師がこれを予見できなかつたとしても同医師が問診義務を怠つたということはできない。

仮に、本件予防接種時、原告がアトピー性皮膚炎に罹患していたとしても、同皮膚炎が予防接種の禁忌事項である規則四条三号にいう「アレルギー体質の者」にあたるとは必ずしもいえず、仮にこれにあたるとしても、禁忌事項には、因果関係の明らかな絶対的なものから伝染病予防の必要性やワクチンの種類によつて接種が可能なものまで種々な段階のものがあり、右「アレルギー体質の者」については、接種するワクチンに対してアレルギー体質であるかどうかにより決めるべき事項であつてアレルギー疾患の既往がある者すべてが禁忌となるものではないところ、三種混合ワクチンの成分により原告の場合のような重篤神経系疾患が発生することはなく、ただアトピー性皮膚炎自体の症状が増悪する可能性は否定できないので、接種するにあたつては十分注意して実施することが望ましいというにすぎず、結局アトピー性皮膚炎は三種混合ワクチンの予防接種の禁忌ではないということになるから、本件予防接種を実施したとしても高橋医師に過失はない。

更に、被告に過失ありとして損害賠償責任を問うためには、被告に結果発生(本件でいえば、原告における本件傷病の発生)の予見可能性がなければならないところ、原告の主張によつても本件傷病は原告がブランコから落下して脊髄の損傷を受けなければ生じなかつたということであるから、原告のブランコからの落下が決定的に重要な意味を有しているが、右ブランコからの落下は、本件予防接種後の出来事であるから、被告には本件予防接種時に結果発生の予見可能性はなく、従つて本件予防接種の中止義務はなかつた。

(四)(1)  同項(四)(1)の事実は認める。

(2) 同項(四)(2)の事実中、本件予防接種時における予防接種の中に勧奨接種があり、その実施について被告の行政指導が行われていたことは認め、その余は否認する。

(3) 同項(四)(3)の事実中、憲法二九条三項、一三条後段、二五条一項に原告主張のような規定があること、予防接種からまれにではあるが被接種者に死又は重篤な身体障害を生ぜしめる副反応が発生することは認め、その余は否認する。

憲法二九条三項は具体的な給付訴訟において直接根拠規定となりうるものではない。そうでないとしても、予防接種禍は憲法二九条三項にいう、財産権を公共の福祉のために用いる(以下「収用」という。)ことにより、その結果生じた犠牲ではなく、同条のいう対象及び法的構造を異にするから、同条項の適用ないし類推適用の対象となり得ない。すなわち、同条項は収用による特別犠牲に対して正当な補償が行われるべきことをうたつたものであるところ、人の生命、身体そのものを財産権の対象となし得ないことは憲法上の規定の存否をまつまでもなく当然の法理であるうえ、憲法が国民の生命、身体を公共のために用いることができる旨の規定を設けていないことをも併せ考慮すると、憲法上の解釈としては公共(公共の福祉)のために生命、身体を財産権の収用と同じように、形式的にも実質的にも収用することは許されないとの見地に立つているものと解される。更に、法による強制予防接種の制度は、集団防衛、社会防衛というより大きな法益の保護を図ることによつて個々の国民を伝染病禍から防衛しようというものであつて、その法の執行としてなされる予防接種は適法な行政行為であり、法による予防接種制度そのものは「予防接種禍」を目的ないし容認するものではなく、まれに不幸にして副反応の発生が見られるとしても、それはあくまで当該患者自身についても終局的には伝染病禍から防護することを目的として実施した行政作用から予期せぬ副次的な作用として発生したものである。これに対し、憲法二九条三項は、ある行政作用がその犠牲を直接的に目的とする場合(しかも、それが一般社会人の受忍をこえた特別のものである場合)に補償を命じるという理念を規定したものであつて、予防接種禍にみられる偶発的な予防接種の副反応の発生とはその被害発生(法益侵害)の法的構造を全く異にする。

4  同4項の事実は否認する。

第三証拠<略>

理由

一  請求原因1項(一)の事実及び同項(二)の事実のうち、原告が昭和四八年九月二一日から同年一一月九日まで市立函館病院で入院、加療を受けたこと、同月一三日から昭和四九年四月二日まで洞爺病院で入院、加療を受けたこと、右両病院での診断名が「多発性神経炎」であつたことは当事者間に争いがない。

そして、右当事者間に争いがない事実及び<証拠略>を総合すれば、原告の出生から本件傷病発症前後の状況及びその後の病状の変化について、次の事実が認められる。

1  原告は、昭和四六年二月八日、藤原喜一郎、同ツネの二男として出生し、特に身体等の障害もなく順調に発育を続け、同年七月二日にはBCGの、同年九月一三日には最初の三種混合ワクチンの、同年一一月二四日及び翌四七年三月二四日には種痘の、同年五月二五日にはポリオ生ワクチンの各予防接種を受けたが、いずれも接種後特に異常は認められなかつた。

2  原告は、一歳半頃から皮膚の弱いところに湿疹が出るようになり、一、二度内科での診察ついでに薬をもらつてつけたことがあつたが、なかなか治癒しないため、昭和四八年七月二八日函館市内の稲城皮膚科医院で診察を受けたところ、症状としては、「顔面全体に瀰漫性に発赤し乾燥性で、後頭部頂部、下腹部に比較的境界明瞭な大小の紅斑あり、その上に粃糠性鱗屑を認める他丘疹散生」しており、「アトピー性皮膚炎」と診断され一回投薬治療を受けた。なお、原告は、昭和四九年九月二七日及び昭和五一年一二月一日にも同医院で診察を受け、いずれも同じく「アトピー性皮膚炎」と診断され同様の治療を受けている。

3  ツネは、昭和四八年九月一八日森町公民館で三種混合ワクチンの定期予防接種が実施されることを知り、定期該当者ではなかつたが、原告に右予防接種を受けさせるべく同日午後原告を連れて右公民館に赴き、原告をして同所において高橋医師から三種混合ワクチンの予防接種を受けさせた。接種後、原告は同日午後三時頃帰宅したが、その日の行動に普段と変わつたところはなく、翌一九日も朝眼がとろんとした感じで一日中何となく機嫌が悪かつたものの、動作等に特に異常はなかつた。

4  同月二〇日、原告は朝から機嫌が悪くぐずり気味であつたものの、体温は三六度四分位で平常であり、夕方まではその動作等に特に異常はなかつた。ところが、同日午後四時頃、原告は姉らと共に近くの小学校の校庭に遊びに出かけ、同所にあつたブランコに乗つた(原告はそれまでもブランコに乗つたことはあつた。)とたん落下し、右足を引きずるようにして泣きながら姉に手を引かれて帰宅した。そこで、ツネが原告の手を洗つてやり、原告の右手に手拭を渡そうとしたところ、原告は、普段と異なりその手拭を持つことができなかつた。更に、原告は、夕食時においてそれまで行つていた茶わんとはしを持つ動作が出来ず、ツネが食べさせてやる状態であり、その後いつたんは寝入つたものの、同日午後九時四五分頃痛みを訴え異常な泣き方をしたため、ツネは原告の体温を計つたところ三六度三分ないしは四分であつたが、同日午後一一時頃、ツネは原告を連れて近くの小池診療所に駆けつけた。

5  医師小池良信は、直ちに原告を診察したが、全身に打撲傷はなく、特に運動機能障害は認められず、体温、瞳孔反射、意識障害のいずれも異常がなかつたため、精神安定剤等の注射をしたうえ、ツネに対し二四時間ないし四八時間以内に何か症状が出たら脳神経外科などの専門医へ行くように指示して帰した。翌二一日早朝、原告は、ツネに連れられて再び小池診療所を訪れ右小池医師の診察を受けたが、その際も特に問題とすべき身体の異常は認められなかつた。

6  原告は、同日午前中、森町国民健康保険病院において医師近江谷淳一の診察を受けたが、嘔吐はなく体温、尿は正常であり、頭部のレントゲン写真からも特に外傷等の異常は認められなかつた。

7  更に、原告は、同日函館市内の松岡小児科医院において、医師松岡悟の診察を受けたが、その時点での体温は三七度で、顔色は正常、胸部聴診による異常及び腹部の異常はなく、けいれん発作、吐き気はなかつたものの、座れる状態ではなく、寝かせたまま頭の下に手を入れて首を曲げようとしたが首が固くて抵抗のある髄膜刺激症状が現れていたため、同医師は救急を要する患者と判断し、原告に同行していたツネに対し市立函館病院への即時入院を指示した。

8  原告は、直ちに市立函館病院に入院し、同日医師平井宏樹の診察を受けたが、その時点での原告の症状は、「胸部、腹部には聴打診上異常なし、四肢はほとんど動かさず、疼痛刺激で左上下肢を少し動かす程度、両側下肢の膝蓄腱反射、アキレス腱反射は消失、両側上肢(二頭筋、三頭筋)の腱反射低下、パビンスキー等の病的反射陰性、全身性の痛覚等の知覚脱失、嘔吐反射陽性、瞳孔の対光反射は左側は迅速であるが右側はやや遅い、両眼瞼下垂、軽度の頸部硬直、不機嫌、頭部及び頸部のレントゲン写真は異常なし、腰椎穿刺は初圧二一〇mmH2Oで三ミリリツトル採取して終圧一八〇mmH2Oで泣き叫んでも二〇〇から二一〇mmH2O程度。」であり脳脊髄液の検査結果は、「外観は水様透明、成分はノンネ・アペルト反応(-)、パンデイ反応(+)(いずれも正常)、細胞数は25/3(やや多い数値)、細胞の種類正常、タンパクの総量は四八mg%(正常の上限か軽い増多と考えられる程度)、糖は五六mg%、クロール一一七mEg%(いずれも問題なし)。」というものであつた。

右平井医師は、翌二二日にも原告を診察したが、体温が三七度八分あつたほか脳外科的治療の対象となるような所見はみつからず、翌二三日原因不明のまま原告を同病院小児科へ転科させた。

9  小児科転科後、医師池田茂が原告の診察にあたつたが、同月二四日における原告の症状は、「平熱、不機嫌、頭痛(±)、嘔吐(+)、項部強直(+)、ケルニツヒ徴候(-)、両下肢の運動知覚麻痺、両上肢の運動知覚不完全麻痺、腹壁反射消失、両眼瞼下垂。」というものであり、同医師は原告の症状を「ランドリー型麻痺」あるいは「ギラン・バレー症候群」であるとの疑いをもち、そのための治療にあたつた。

10  市立函館病院入院中における原告のその後の病状経過は次のとおりであつた。

同月二五日 腰椎穿刺は、初圧四〇〇mmH2Oで一五ミリリツトル採取して終圧二〇〇mmH2O、脳脊髄液の検査の結果は、「液の外観透明、ノンネ・アペルト反応(-)、パンデイ反応(-)、細胞数5/3(正常範囲)、タンパク総量一四mg%(少し減つている程度)、糖量五三mg%(正常)、クロール一一六mEg%(正常)。」というものであつた。

同月二六日 嘔吐(+)、頸部、上腕、顔には痛覚があるよう、足底を刺激すると「いたい。」と不明確に発語し、下肢を少し屈曲する、眼瞼下垂消失。

同月二七日 膝蓋腱反射及びアキレス腱反射が出現、声も大きくなり口から食物摂取が可能となつた。

同月二八日 首を動かす力が強くなつた。腹壁反射(-)、挙睾筋反射(-)。

同月二九日 腰椎穿刺は、初圧一八〇mmH2Oで五ミリリツトル採取して終圧一四〇mmH2O、脳脊髄液の検査結果は、「水様透明、ノンネ・アペルト反応(-)、パンデイ反応(-)、細胞数0/3(問題なし)、タンパク総量八mg%(正常より少ない量)、糖量七〇mg%、クロール一二〇mEg%。」というものであつた。

同月三〇日 症状の改善は速度が鈍つた。進行(悪化)は全くない。

一〇月 一日 機嫌良好、両上肢は動かす、握力(-)、腹壁反射(-)、笑顔がみられるようになつた。膝蓋腱反射、アキレス腱反射共に右側が弱い。

同月 二日 改善の速度が止まつたような感じである。

同月 三日 膀胱直腸麻痺(+)、バルーン再挿入。

同月 四日 機嫌、食欲良好、握力ほとんどなし。下肢は反射(+)であるが動きはない。

同月 五日 一人で牛乳をつかんで飲めるようになつてきた。

同月 八日 整形外科のリハビリテーシヨンを開始、握力、指の力が弱い。

同月一二日 握力はほとんどなし、マツサージを開始してから下肢がいくらか動くようになつてきた。

同月一四日 下肢を動かすようになつてきた。尿自然に出る。

同月一六日 尿が自然に出るようになつたが、知らせはしない。

同月一七日 握力が少し出てきた。指先で物を持つようになつた。

同月二五日 一人で起き上がつて座るようになつた。

同月二六日 つかまり立ちをする。

同月二九日 排便を時々教えるようになつた。

同月三〇日 寝返りを上手にする。

一一月 一日 はつて歩くことができる。

同月 七日 鼻漏(+)。

11  原告は、同年一一月九日、市立函館病院を退院し、洞爺病院へ転院したのであるが、医師池田茂は、原告の市立函館病院入院中の症状を、最終的に「多発性神経炎」と診断し、その原因は不明であるとしている。また、同病院入院中の同年九月、一〇月に原告に対して、アトピー性皮膚炎の治療ということで軟こうが投与されている。

更に、昭和五〇年四月一日に、同病院入院中に採取した原告の検体(血清、髄液、便)が北海道立衛生研究所に送られ、ウイルス学的検査に付された結果、検査した二〇項目のうち一九項目は陰性であり、コクサツキーA群の五型ウイルスに対する血清中和抗体価のみ陽性を示したが、この点について同研究所の医師は、市立函館病院入院中に感染した可能性が強いとの見解を示した。

12  原告は、昭和四八年一一月一三日から洞爺病院脳神経外科に入院したが、初診時の傷病名は「多発性神経炎」であり、同時点での症状は「意識清明、独力で起立はできないが物につかまれば腰を引いて起立することができる。つかまる手は鷲手であり、左の手指の力は弱いながらも物をつかむことはできるが、右手指のそれはわずかである。拇指の内転、外転はできないようである。両上肢の挙上は可能。肘の屈伸は左はかなり力があるが右ではわずかな運動である。排尿はおしめであり教えない。」というものであつた。

13  原告は同月二一日から同病院リハビリテーシヨンセンターに入院し、機能回復訓練にあたつたが、入院時点での症状は次のとおりである。すなわち、下肢の面においては、筋力では両殿筋、膝屈筋が約2+~3-と低下しているので、起立時躯幹の前屈、反張及びいわゆる出尻となる。左右下肢とも痙性(SS~SSS)、膝蓋腱反射及びアキレス腱反射とも亢進、パビンスキー反射は右側で陽性、陽性支持反射の影響により起立、歩行時には尖足となる。次に上肢の面においては、上腕までのレベルはほぼ正常だが、指についてはいわゆる尺骨神経麻痺様の変形がみられる。そのために第二指が屈曲位のままの状態でのつまみとなる。

14  また、原告は、洞爺病院入院と重複して同年一二月八日から昭和五一年一月三一日までの間数回にわたつて札幌肢体不自由児総合療養センターの診察、治療を受けているが、昭和四八年一二月八日の同センターにおける初診時の診断名は、「ギラン・バレー症候群の疑い又は頸椎下部、胸椎上部の骨折による麻痺の疑い」で、主要症状は、「両上肢については腕関節より指まで弛緩性麻痺あり、特に右側に強い、拇指球(-)、小指球(-)。下肢については痙直性麻痺、足間代(+)、パビンスキー反射(+)、膝蓋腱、アキレス腱反射共に亢進。ケルニツヒ症状()。躯幹、殿筋、腹筋が弱い。膀胱麻痺あり。」というものであつた。

15  以後の原告の病状の経過は次のとおりである。

昭和四八年一二月一四日 知的な面では三歳レベルのものをもつており、会話、社会性ともに問題ない。万歳可能、肩の両側への外転、伸展共に可能、肘屈伸に関しても問題なし。筋力的にみても肩、肘に関する筋群は「4」以上の段階に入る。左よりも右上肢の方が筋力的に落ちているようである。左右の拇指球の萎縮がみられ、右側により強い。上肢においては、頸髄七、八番、胸髄一番の神経領域の筋の低下、萎縮がみられる。

洞爺病院医師萩原良治作成の同月一七日付「身体障害者診断書意見書」の記載内容は次のとおりである。

(傷病名)四肢麻痺

(原因)ギランバレー症候群後遺症

(現症)体位は、脳性麻痺児と同様な尖足、はさみ足、膝反張出尻な肢位体位であり、大殿筋、中殿筋ハムストリングなど筋力22であり起立などできない。上肢は筋力4あるが手指は尺骨神経麻痺症状が強く機能障害が強い。障害の程度は身体障害者福祉法別表第五の一(「第四の一」の誤記と認める。)(第二級)に相当するものと認める。

(損傷程度)○左右足関節は尖足で受動的に一五度背屈はできる。

○立位は不能で尖足膝反張があり体幹筋、殿筋、縫工筋その他の脱力により殿部を引き前屈伸となり歩行もできない。座位は可能で安定している。

○手指はMP過伸展、尺骨神経領の萎縮と脱力が強い。

同月二七日 出尻、躯幹の前屈は消失、歩行は二、三メートル可能だが、尖足、躯幹の動揺のため不安定ですぐ転倒する。手指の第三指が過伸展、第一及び第二指が屈曲(鷲爪手)。神経生理学的問題では入院時(同年一一月二一日)との著変はみられない。

昭和四九年一月五日 以前のように、尖足位歩行及び躯幹の前屈はなくなり、結果として右側の反張はあるが歩行パターンは著しく改善を示した。痙性()、反射亢進。

同月二九日 前屈、反張、尖足のうち、軽度の反張のみで躯幹筋は4から5程度に強化された。尖足はほとんどとれた。右下肢の内施はある。左手の方は若干良くなつたが右手は不変、拇指の位置も伸展傾向も左は良くなつた。

二月一六日 尖足、躯幹の前屈は消失したが、側屈動揺が激しく見られる(これについては、筋力の低下とはあまり関係なく、一種の癖的なものであろうとの考えを担当医師が示している。)。

同月一九日 体幹を左右に動揺させて歩く。

なお、これより先の同年一月三〇日、原告は北海道から、障害名「ギランバレー症候群後遺症による四肢麻痺起立位不能」、身体障害者等級表による級別二級の身体障害者手帳の交付を受けた。

16  原告は、同年四月二日、洞爺病院を退院したが、その後も同病院及び前記札幌肢体不自由児総合療養センターにおける診察、機能回復訓練を受けている。以後の原告の病状の経過は次のとおりである。

同月一六日 失禁の方が多い。排尿量が少なくそのあとに失禁する。スプーンを使つて一人で食事を行つている。

五月一日 歩行は全体を振り、駆けるようにしてバランスをとるので、ゆつくり歩かせると左が下りバランスが悪くなる。手をとると歩けない。起立時膝が屈曲している。

同月二三日 歩行は早く歩くというより飛んでいる感じだが、内反は少なくなつている。

七月二日 歩行は安定してきており、連れ歩きできる。両足飛びが可能となる。右足の内反、すり足が残つている。

同月一六日 両下肢の膝蓋腱反射、アキスレ腱反射共に亢進、両側パビンスキー反射(+)(より右側に強い。)、右側足間代(+)(左側にもわずかにある。)、おしめがとれない。

九月六日 歩行はゆつくりできるようになつているが、大局的には変わつていない。

一一月二七日 体全体のバランスは良くなつてきている、耐久力は良いし歩行姿勢も良くなつている。

昭和五〇年二月一二日 一人歩き及び一人での食事が可能、衣服の装着は全介助(ボタンかけができない。)、下肢は左内施が強く、殿筋が萎縮、上肢は弛緩性麻痺、大小便をもらすことが多い。

同月一三日 開脚X脚内反尖足型の歩向を認める。歩行ははさみ足である。バランスは良いが、急な体方向転換はできないで倒れる。

なお、原告に対する洞爺病院医師萩原良治作成の右同日付診断書には、「病名は多発性神経炎。昭和四八年一一月一三日から昭和四九年四月二日まで入院、加療を行い、現在身障五の二(「四の一」の誤記と認める。)(第二級)相当の後遺症があり、年二回から三回の機能評価をしている。」と記載されている。

七月二八日 起き上り、立ち上りができる。用便を教えるが失敗することもある。

一二月八日 歩けるようになつたが、疲れて時々体む。立ち止まつてしやがむ。手の細かい動作に障害がある。尿失禁があり、腰から下の感覚がにぶいようである。言葉、知能は問題ない。上肢については挙上伸展ができ、両側鷲爪手、手首から先は知覚低下、上腕二頭筋反射陽性。下肢については痙性麻痺で膝蓋腱反射()、アキレス腱反射()、パビンスキー反射(+)、足間代(-)。

17  その後、原告は、昭和五二年小学校に入学し、正常な歩行はできないものの杖を使用しないで一人で歩いて通学した。その当時、手は以前と比べ大分良くなつたが、鉛筆を小指と親指にはさんでどうにか使える状態であつた。

18  また、昭和五八年一二月当時においては、両手で一番やせているのは手の元と前腕の下半分ないし三分の一以下の部分であり、握力は非常に弱いが二年前と比較して右手指が伸び、足については右足のアキレス腱を手術したのでかなり良くなつた。以上の事実が認められ、<証拠略>中右認定に反する部分は措信せず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  そこで、本件予防接種と本件傷病との因果関係を検討する。

1  前項4の認定事実によれば、原告はブランコより落下した直後から右手足等に麻痺症状を呈し始めており、この事実及び前項以下で認定した原告に現れたその後の諸症状に加え、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第七号証の二、鑑定人白木博次の鑑定の結果(以下「白木鑑定」という。ただし、後記採用し得ない見解の部分を除く。)及び成立の争いのない乙第一〇号証を総合すると、原告がブランコから落下したことにより、その程度は別として、第七、第八頸髄から第一胸髄にかけて右側優位性の外傷性脊髄損傷(以下「脊髄損傷」という。)を受けたこと及び唯一の原因であるかはさておき、右脊髄損傷が少なくとも本件傷病発生の原因になつていることを認めることはできる。

しかるに、原告は脊髄損傷のみでは本件傷病のすべてを合理的に説明することができないとし、請求原因2のとおり本件傷病の発生については本件予防接種もその一因であり、本件予防接種と本件傷病との間に因果関係があると主張するところ、右原告の主張に添うものとしては白木鑑定及びこれを補足する鑑定証人白木博次の証言(以下「白木証言」といい、白木鑑定と併せて「白木見解」という。)があり、原告の主張は専らこの白木見解に依拠するものと解されるので、以下白木見解について検討を加える。

2  白木見解は大略次のとおりである。

(一)  白木鑑定の見解

本件傷病は頸髄下部から胸髄最上部にかけてのレベルの損傷に基づく臨床像としてとらえられる(「急性脳症」の存在は否定される。)ところ、その原因としては、まず、ブランコからの落下による脊髄損傷が考えられる。しかしながら、右脊髄損傷のみでは本件傷病のすべての症状を説明することはできない。すなわち、本件傷病は「ギラン・バレー症候群(多発性神経炎)」のそれによくあてはまるものであるが、それに反する症状もみられ、結局、本件傷病については、ひとつの原因だけで理解することは困難であり、外傷(脊髄損傷)起因性及び「ギラン・バレー症候群(多発性神経炎)」起因性の双方について同程度かほぼ同比重において同時に考慮する必要があると考えざるを得ない。そこで、あらためて本件傷病発生の経緯をみてみると、本件傷病発生の発端はまず本件予防接種に求めるのが自然であり、更に、その後外傷性の打撲により脊髄損傷を受け、それが遷延性の経過をたどつて症状が完成したこと、原告にはアトピー性皮膚炎を生じやすい遺伝的体質があり他の一般健康児よりワクチン接種の副反応を発展させ易いアレルギー性体質が潜在していたことなどを考慮すると、本件傷病については、外傷(脊髄損傷)によつて、それまでは潜在していた本件予防接種に起因する副作用的アレルギー反応、言葉をかえるとギラン・バレー症候群的機構が、原告のアトピー性の先天的体質とも相まつて誘発され、原告の末梢神経系のみならず、打撲性の外傷によつて生じた当該の脊髄損傷箇所自体にも急速かつ強力に作用し、ブランコからの落下による受傷かつ二〇時間前後を要して原告の四肢と躯幹の完全もしくは不完全麻痺に重畳的に連動していつた可能性が高い。なお、三種混合ワクチン接種による神経系の副反応としては、通常ギラン・バレー症候群型(多発性神経炎型)のそれを見いだすことはできないが、原告の場合は、アレルギー体質に加えて脊髄損傷という「局所の抵抗性の減退」が発展していた事実があつたことから、ギラン・バレー症候群的(多発性神経炎的)副反応の形態をとつたと考えられる。結論として、本件傷病については、原告がブランコから落下して脊髄損傷を受け、それを契機に同脊髄及びそれ以下の脊髄レベルに対応する左右の末梢神経系にもギラン・バレー症候群的(多発性神経炎的)機構が急速、広汎かつ続発的に惹起され、脊髄損傷にこれが重畳し、相互に修飾し変容し合うことによつて、双方に非典型臨床像を発展した可能性が極めて高い確率で考えられる。

(二)  白木証言における補足見解

三種混合ワクチンの副反応は、通常は脊髄に変化が起こるということはなく、大脳に変化をきたす急性脳症が多く、その病変は大脳にあると考えられるが、本件においては、本件予防接種後にブランコから落下して外傷(脊髄損傷)を受けたため、本来なら脳にくるべき副反応が抵抗性の弱くなつていた脊髄に発症し、「急性脊髄症」を起こした可能性が高い。

(三)  右(一)、(二)の考え方のうち、蓋然性としては(一)の方がより高いと考えられる。

3  しかしながら、右白木見解について以下のような疑問点が存する。

(一)  まず、白木見解は本件傷病のすべてを脊髄損傷で説明することはできないとし、具体的に次の各点を指摘する。

(1) 原告に現れた脊髄シヨツク期の症状は、ブランコから落下した直後に発展したものではなく、それから二〇時間前後を経て完成したと考えられるが、このような遷延性の臨床経過は脊髄損傷では説明できない。

(2) 原告には脊髄損傷の場合通常生ずる尿閉が見られない。

(3) 市立函館病院入院後六日目になると、ホルネル症候群は消失し、七日目には下肢の腱反射も出現し、その後の二回にわたる髄液の所見も急速に改善しているが、このような急速な改善方向を示すことは脊髄損傷の場合は一般に期待し難い。

(4) 原告のような下部頸髄の損傷の際の生命に対する予後は通常極めて悪いとされているが、原告においては一部の神経障害が非常にあるいはかなり急速に改善していつた臨床経過がみられ、脊髄損傷だけでは理解に苦しむ余地をより多く残している。

(5) 原告の回復期から慢性期にかけての症状をみると、上肢の末端である手指や手関節の握力が弱く、しかも両側性の拇指筋の萎縮があり、特に右側に著しいが、脊髄により近い上肢の力は比較的よく保たれ、しかも全体として弛緩性であることは外傷による横断性の切断症状としてそのまま理解することは困難である。

(6) 末梢神経障害性の筋萎縮や筋力の低下は、上肢ほど高度ではないにしても躯幹や下肢にも両側性に発展しており、この点脊髄損傷では説明が困難である。

(7) 鷲手爪様に曲がつていた手が伸びるなど、年月の経過によつて後遺障害が回復してきていることは外傷による損傷では考えられない。

(8) 上肢は弛緩性、下肢は痙性と慢性時における症状が異なることは脊髄損傷だけでは説明が困難である。

しかしながら、前掲乙第一〇号証(医師藤原紘一の意見書)によれば、右指摘点を含む本件傷病の諸症状については次のとおり脊髄損傷によるものとして説明が可能である(以下これを「藤原見解」という。)。すなわち、原告はブランコより落下した際の頸部の急激かつ強度の過屈曲、過伸展によつて、第八頸髄、第一胸髄部位(右側により強く)に軽度の脊髄挫傷を受け、これにより受傷直後から極く軽い右足跛行、上肢の麻痺の症状をきたし、その後次第に脊髄挫傷部位の脊髄実質内に浮腫とか出血をきたして、ついには受傷後約二〇時間して四肢及び躯幹の弛緩性運動麻痺、四肢及び躯幹の知覚脱失、両上肢の腱反射低下、両下肢腱反射消失、腹壁反射消失、右側優位のホルネル症候群、尿閉等の脊髄シヨツク状態に陥つたと判断できる。また脊髄実質の浮腫とか出血の変化が、髄膜を刺激して、軽度の頸部硬直、脳脊髄液の異常所見を来たしたと考えられる。脊髄損傷が軽度でかつ脊髄横断面的には一部すなわち不完全であつたために、脊髄シヨツク期の三日後には脳脊髄液所見の改善、四日後には知覚脱失の一部回復及びホルネル症候群の改善、五日後には下肢の腱反射の出現等の一部症状は急速に改善していつたものとして理解できる。そして、脊髄挫傷による浮腫と出血の程度が特に強かつた部分、すなわち第八頸髄、第一胸髄(より右側に強く、一部上部頸髄に及ぶ。)の両側前角、両側錐体路はそのまま退行性変化に陥り、その部分の神経支配領域に重篤な後遺症を残すことになつた。すなわち、第八頸髄、第一胸髄の両側(より右側に強い。)の前角の障害によつて、両側手指筋の高度の弛緩性麻痺(握力の低下)、拇指球筋、小指球筋の強度の筋萎縮、鷲爪手様の手の変形をきたし、同部位錐体路の障害によつて、胸、腹、殿部及び両下肢の痙性麻痺、両下肢の腱反射の亢進、病的反射(パビンスキー反射)等の症状が残ることとなつた。

右藤原見解は、前記認定した本件傷病の経過とそごする点は特に認められないうえ(白木鑑定においては、同鑑定書一七頁九行目から一〇行目に「両上肢は動かさず」と記載されているが、前掲甲第五号証の一によれば、「両上肢は動かす」と認められ、同二六頁及び五八頁には「原告が中伊豆温泉病院に入院した」旨記載されているが、他にこれを認めるに足りる証拠はなく、同四四頁一一行目には「原告には完全な尿閉」がなかつた旨記載されているが、前掲甲第五号証の一ないし三によれば「尿閉」が存在したことは明らかであり、また、同八頁及び九八頁には「原告がブランコに乗るのは初体験」である旨記載されているが、<証拠略>によれば、原告はこれまでもブランコに乗つた経験があることが認められ、鑑定の前提事実について右のようにそごする点が存する。)、同見解を医学的にみて不合理なものとして排斥する証拠も存しないから、原告の本件傷病を十分説明しうるものであると解せられる。すなわち、白木見解が本件傷病の諸症状の中で脊髄損傷では説明できないとする前記各指摘点のうち(1)、(3)、(4)、(前掲乙第一〇号証によれば、呼吸筋を支配している中枢神経は、脊髄レベルでいえば第四、第五頸髄であり、下部頸髄である第七、第八頸髄の脊髄病変では生命に大した影響がないことが認められる。)、(5)、(8)については、右藤原見解のとおり脊髄損傷のみで説明が可能であるということができ、(2)については、前記のとおり「尿閉は存在した」ものであつて、白木証言により訂正されたように白木鑑定が事実を誤認していたものである。

また、その余の指摘点のうち、(6)については、本件証拠を検討してもそのような事実を必ずしも認めることはできないし、更に(7)については、前掲乙第一〇号証、白木証言及び弁論の全趣旨によれば、一般的には脊髄シヨツク期の持続期間が短く比較的早期に麻痺の回復のきざしを呈したもの、すなわち脊髄の横断性病変の程度が比較的軽度の場合には、リハビリテーシヨン等の治療によりかなりの程度にまで機能回復が期待できることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はないところ、前記のとおり本件傷病の諸症状については比較的軽度の脊髄損傷で説明が可能であることに加え、前記認定のとおり原告は洞爺病院入院以降実際にリハビリテーシヨンを行つていることに照らすと、この点についても脊髄損傷で説明が可能であると解せられる。

以上によれば、白木見解において、本件傷病の症状のうち脊髄損傷のみで説明できないと指摘する点は、いずれも脊髄損傷で説明が可能であるというべきである。

(二)  次に、白木鑑定は、本件傷病はギラン・バレー症候群あるいは多発性神経炎の症状によくあてはまるものがあるとして、これを外傷起因性と同程度に考慮する必要があるとする。

しかしながら、同鑑定は、本件傷病の諸症状を脊髄損傷のみでは説明することができないことを前提とするものであり、この点、前記のとおり本件傷病の諸症状を脊髄損傷で説明することができる以上、すでにこの点において疑問があるといわざるを得ない。しかも前掲乙第一〇号証(同証拠中の文献番号一五の資料「日本臨床」三五巻春季増刊号七二ないし七三頁、平山恵造著「Guillain-Barrl 症候群」)によれば、「ギラン・バレー症候群」の一般的症状は「(1)前駆症状は、半数近くにみられ、感冒様症状で、咽頭痛、発赤、扁桃腺炎、微熱、胃腸障害、結膜炎、発疹などである。(2)神経症状は、急性に発現し、両下肢の運動麻痺から始まる(異常知覚を伴うことあり)。(3)症状の主体は、運動麻痺で、両下肢末梢に始まり上行し、ついで両上肢、更に顔面をも侵すことがある。ときに呼吸筋、外眼筋、舌、咽頭、咀噛筋も侵す。小児では四肢近位部に始まるものが多い。(4)異常知覚、圧筋痛はよくみられるが、運動障害に比較すれば他覚的知覚障害は軽微なのを特徴とする。(5)腱反射は、減弱、消失する。(6)運動麻痺は、発病後一〇日から二〇日を頂点に、漸次軽快し、予後佳良である。(7)脳脊髄液は、初期には軽い細胞増多を示すことがあるが、日を追い、麻痺の進行と共にタンパクが増加し、タンパク細胞解離が明らかとなる。多くの症例は以上の条件を満たしているが、少数ながら一部の条件がはずれる例外例もある。」というものであることが認められるところ、前記認定の本件傷病の症状をみると、上肢における両側手指筋優位の弛緩性麻痺、市立函館病院入院後ある種の神経障害が急速に改善していつたことなど右一般的症状に副う症状もみられるものの、上下肢の麻痺がほぼ同時期に始まつており、上行性が必ずしも明らかでないこと、脳脊髄液のタンパク細胞の解離がなく逆にタンパク総量が低下していつたこと、運動と知覚の双方がほぼ同比重に侵されていること、下肢においては腱反射が非常に亢進し痙性麻痺を呈していること(前掲乙第一〇号証によれば、両下肢の痙性麻痺は必ず中枢性の障害、すなわち両側性の錐体路病変によつて起こるものであることが認められる。)、かなりの程度の後遺症を残していることなど、むしろ右一般的症状に反する症状が多くみられるうえ、市立函館病院及び洞爺病院において「多発性神経炎」あるいは「ギラン・バレー症候群」の診断名がつけられているものの、他方<証拠略>によれば、洞爺病院において原告の診療にあたつた医師三島博信及び札幌肢体不自由児総合療養センターで原告の診療にあたつた医師が、いずれも「ギラン・バレー症候群」との診断に疑問を呈していること(特に、医師三島博信は、「上肢は弛緩型、下肢は痙縮型という機能障害を残すような「ギラン・バレー症候群」は経験したことがない。本症は頸髄損傷(C7~C8)による外傷性のものと考えるのが最も妥当であると思われる。」としている。)に照らすと、本件傷病の一部がギラン・バレー症候群あるいは多発性神経炎であるとの見解については、直ちに採用することができないといわざるを得ない。

(三)  仮に、本件傷病の症状の一部がギラン・バレー症候群あるいは多発性神経炎であるとしても、前掲乙第一〇号証によれば、これまで三種混合ワクチンの副反応として右各疾患が生じた報告例はないことが認められ、この点は白木鑑定も同見解であるが、本件においてなぜこれまで報告例のない右各疾患が生じたかとの点についての白木鑑定の説明は必ずしも説得力あるものとはいい難く、他にこの点について説明する証拠はない。

(四)  次に、白木証言における補足見解(急性脊髄症)について考察するに、同見解は、医学的にみて、ブランコからの落下前に時間的近接性をもつて存在する本件予防接種及びアトピー性皮膚炎を無視することはできないとの前提に立つての考察と解されるが、その前提たる本件予防接種及びアトピー性皮膚炎を無視できないより積極的な理由については必ずしも十分説明がなされているとはいい難く、従つて、三種混合ワクチンによる脊髄への副反応(急性脊髄症)は今までその実例が存しないという(白木証言)のに、本件において右副反応が発症したとする理由についても必ずしも明確であるとはいえないこと、しかも、前記のとおり本件傷病の諸症状については脊髄損傷のみで説明が可能であること、他に同見解を支持する証拠はないことに照らすと、同見解も直ちに採用することはできない。

4  右のとおり、白木見解については、本件各証拠に照らし、いくつかの疑問があるといわざるを得ず、従つて当裁判所としては同見解を直ちに採用することはできない。

5  以上検討してきたところに加えて、鑑定人山田尚達の鑑定の結果によれば、同鑑定人は、本件傷病が本件予防接種に起因すると考える積極的根拠に乏しい旨の鑑定結果を出していること、前掲乙第七号証の二によれば、前記医師三島博信も、本件予防接種と本件傷病との直接の因果関係は考えられず、原因としては脊髄損傷が確率論的に最も高いと考えられる旨述べていることも併せ考慮すると、本件傷病が、専らブランコからの落下による脊髄損傷に起因する可能性が十分存するというべく、このように他に原因となりうる事実が認められた以上、本件予防接種によつて本件傷病が発生したことを是認しうる高度の蓋然性があるということはできないから、結局、本件予防接種と本件傷病との間に因果関係を肯認することはできない。

三  なお、被告の本案前の主張について検討するに、原告の当初の請求が民法七〇九条に基づく損害賠償請求であり、原告が昭和五九年一二月一七日の第二八回口頭弁論期日において損失補償請求を追加的になしたことは当裁判所に顕著であるところ、右追加的主張は、本件予防接種による身体に対する被害が原告にとつて受忍することのできない特別犠牲であるとして憲法二九条三項を根拠に損失補償請求をなすものであり、当初の請求とは訴訟物が異なるから、訴えの追加的変更と解されるのであるが、その補償請求の内容は実質的に損害賠償と同様なものと構成し、ただその請求の根拠を憲法二九条三項に基づくものとしているのであつて、必ずしも本件予防接種事故補償を講学上の損失補償と同一視しているものではない。従つて、本件損失補償請求が行政事件訴訟法四条後段に該当する実質的当事者訴訟であると解することは疑問が存するところであり、仮にこれにあたるとしても、本件損失補償請求と当初の請求である不法行為に基づく損害賠償請求とは審理の対象である事実関係が密接に関連し、請求金額及びその具体的な内訳も同一であるほか、証拠関係、争点及び攻撃防禦方法の相当部分が共通であるうえ、本件損失補償請求を右損害賠償請求に併合することにより審理が複雑化するなど手続上の弊害も考えられないから、審理の重複を避けるため行政事件訴訟法一六条一項を類推適用することにより、本件損失補償請求を追加的変更することは許されると解するのが相当である。よつて、被告の右主張は理由がない。

四  以上のとおりであつて、本件予防接種と本件傷病との間に因果関係を肯認することができない以上、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 見満正治 小川育央 河合健司)

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